放生(ほうじょう)の儀式とは何か?
鳥を空に解放したり、池や川にいる魚を逃がしてやったりするという珍しい風習が今でも新潟の農村部に残っています。その一風変わった風習は「放生(ほうじょう)」と言われています。ちなみに放生という儀式は仏教儀式の「放生会(ほうじょうえ)」から派生された儀式であり、捕まっている生き物を逃げさせることによって徳を積むといった意味があり、生き物を助けることによって、あの世へ旅立った故人がちょっとでもいい思いをすることが出来るようにといった願いがあるのです。
新潟県の香典の水引について
紅白の水引をかけたお見舞いの表書きを使用した袋を準備することが、他の地方の一部地域でもありますが、新潟県の一部地域でもその水引を使うことがあります。決して祝い事と不謹慎な意味ではなく、この水引を使う地域と同じく、見舞金という意味でこの水引が使われています。
赤いろうそくを灯している?
一般的に葬儀でよく使われるろうそくと言えば、黒・白などが定番なのですが、新潟県の一部地域だと火葬が済むまでは白いろうそくを使用した後、火葬が済みましたら今度は赤いろうそくを使います。そして他には赤飯を精進落しの席から出すこともあれば、黒塗りされたお膳から朱塗りのお膳に変える地域もあります。弔事を表す黒・白から慶事を表す赤へ色を変える事の意味ですが、葬儀が無事済んで故人が仏様になった事をめでたいとされる意味、または忌み事から日常に切り替えて戻る意味もあると考えられています。
香典の表書きに「御灯明」と書く?
新潟県でも一般的な葬儀で香典を用意する時に表書きは「ご霊前」を使用するのですが、香典を渡す遺族が親戚の場合は香典の表書きを「ご霊前」でなく「御灯明料」と書いたり、それとは別で通夜には「通夜見舞い」や米を持ってくることがあると言われています。
富山では「四華花」を絶対飾るようにしている
富山県で葬式を行う際、絶対と言っても過言ではない程、「四華花(しかばな)」を準備し、それを祭壇に飾る風習があります。四華花というのは、細長く切った紙を木の棒に沢山挟んだものであり、御釈迦様が亡くなられてしまった時に真っ白な花をつけ、沙羅双樹の木花が遺体を覆ったことに関係しているとも言われています。ちなみに四華花は死華花とも書きます。
富山では棺に白いさらし布を結んでいる?
富山県では出棺する際、白いさらしの布を棺に結びつけて、その端を遺族が持ち、それを引っ張るといった風習が現在でも残されています。これは墓地や火葬場へ棺を移送する「野辺送り」の葬列で行っていた風習であり、「善の綱(ぜんのつな)」といいます。そしてそれは故人の近親者となる女性・子供が善の綱を引くケースが多いです。善の綱を引く意味については、善いところへ故人を導く為の綱といった意味が込められています。
昔からある善の綱を引く風習はだんだんと行うところが減少してきており、現在では手に白い布を持つといった代用で行うことが増加しています。この様にして次の世代に受け継がれながら、風習は変わっていってしまうものかもしれません。
火葬場へ行く時、喪主は白装束を着て行く?
富山県の呉西等の地域だと、出棺して火葬場へ移動する時、喪主や遺族達が白装束を着るといった風習が今の時代にも残されているのです。一般的に喪服というのは黒であり、白装束は故人が着ている為死装束の印象が強いですから、この風習に違和感を持つ方が多いでしょう。でも、そもそも昔の時代の日本で喪服の色は黒でなく白であり、それと反対に、結婚式などのおめでたい席に出席する際、出席する女性が既婚者だった場合は黒い留袖を着るものでした。
清めの塩をかける時は?
葬式へ参列したら、帰宅した時に玄関で清めの塩をかける風習が一般的となっていますが、石川県の一部地域だと清めの塩をかける際、米の「ぬか」を清めの塩と一緒にかける風習があります。これは神道から来る考え方であるお清めで、神道の葬式での祭壇に「神饌」という食物をお供えし、お供え物の中に「ぬか」の素材となるものがあることから、神道の教えによる影響、その地域の風習がまざったものとされており、他の地域でも神道の葬式を行った際、清めの塩をかける時にぬかを一緒にかけるところがあるのです。
火葬当日に分骨して、菩提寺に納められる?
浄土真宗王国とも言われている石川県は、他の地域と比較してみてもお寺との繋がりは身近な傾向にあるとされています。石川県は葬儀や告別式の後に火葬を行う「後火葬」の地域であり、火葬して収骨する時、2つの骨壷に分骨し、当日の内にその内の1つを菩提寺へ納めに行く家も珍しくありません。