告げ人について。
告げ人についてご紹介します。昔の時代、まだあまり電話が普及していない時代がありました。そういう便利なものがなかったので、亡くなられた事、葬儀について知らせる役割の「告げ人(つげにん)」と呼ばれる人がいたのです。
告げ人というのは基本男性二人が一組となり、忌を避ける為動き、決して一人で知らせに行くことはなく、必ず二組で知らせに行きます。しかし時代が進むに連れ、連絡手段が便利となった今の時代には見られなくなりましたが、山形県で一部の地域で告げ人の風習が残っているところがあり、菩提寺への連絡には、男性二人で出向く場合があります。
山形の葬儀について。
「念仏講」「観音講」という地域組織があるのですが、山形県では葬儀の際、その組織に所属している年配の女性が集まって歌を詠うという風習があり、その歌は「御詠歌」と言われています。ところが、現在は住宅街等で騒音の問題とされ、だんだんと減少している風習となっています。でもそれは住宅街での話であり、寺院で行われる葬式・農村地では現在でもその風習は残っています。
葬儀や告別式の前に火葬を行う「前火葬」は山形県でも行われるところがあり、都市部以外の地域だと火葬を済ませた後は自宅や式場じゃなく、寺院で葬儀・告別式が行われることが多いため、御詠歌の風習が残りやすいと考えられています。香典返しについてですが、それ程他の地域と差はありません。蕎麦・そうめん等の麺類、海苔、緑茶、ワイン、香典を五千円以上くれた方にはカタログギフト、一万円以上の人にはカタログギフトに加えてお菓子の詰め合わせ、商品券などを送るところもあります。
三十五日(五七日)法要を当日に行っている?
葬儀・告別式の日、初七日法要までを繰り上げて行われるのは一般的ですが、山形県の場合だと葬儀当日に三十五日(五七日)法要が行われる場合があるのです。三十五日は四十九日と同じく重要な日となっているのですが、全国という意味ではその日に法要を行っているところは多いとは言えません。しかし、山形だと法要を三十五日目に行うのは難しくとも、省略するのは忍びないという説があります。
湯灌の流れについて。
納棺の前に遺体を洗うことにより、清めることを「湯灌湯灌」と言います。何故かというと「湯灌」は、故人の方が生きていた時についた穢れ・苦しみを洗って清めるといった意味があります。人は生まれた時産湯を浸かっていたので、生まれ変わってほしいという意味があるとされています。この儀式はそもそも、宗教の人間が宗教儀式として行っており、それが時代が流れるにつれてその儀式は故人の家族の役目となって、医者や葬儀社へ引き継がれてきました。
湯灌で遺体を洗いましたら、男性の場合は洗浄した後に髭を綺麗に剃り、そして故人が女性の場合には死に化粧をします。ちなみに昔ながらの湯灌だと、たらいに水を入れて湯を入れながら洗い、これを逆さ水といいます。最近だとシャワーで洗浄が行われているのが増えており、遺族の方に頼んで遺体の足元から胸元にかけて湯をかけてもらうといった儀式がありますが、病院で洗浄する場合、アルコールで体を拭いて洗浄することも珍しくありません。
納棺の決まりごとについて。
湯灌に続く納棺は元々遺族の手で行っていましたが、時代の流れによって今では葬儀社・納棺専門業者の主導で行われている場合がほとんどです。専門の人に任せることが多いですが、身支度は遺族の人が手伝うことも可能なので、手伝いたい場合は依頼する時に話しましょう。納棺は仏式(浄土真宗以外の場合)なら経帷子、神式の場合なら白の小袖を着させます。衣装を着せたら棺に「上帯」「手甲脚絆」「六文銭」を入れた「頭陀袋」を身に付けて「杖」「網笠」「草鞋」を納めましょう。
それが済みましたら、今度は故人の方が生前愛用していた品を棺に入れていきます。しかし、ライターといった爆発してしまう物、反対に燃えにくいものを入れるのは出来ません。水分を多く含んでいるものも妨げとなるので避けます。そして入れるものに気を付けて副葬品を納め、棺の蓋を閉めたら納棺完了となります。
プロとしての心配りについて。
湯灌湯灌・納棺を行うスタッフは資格がないと出来ないことではないですが、プロとして仕事をしっかりこなすので、遺族の方を思いやる心を忘れず、儀式を行っています。プロは常に遺体に対し、尊敬の念を忘れないようにしています。悲しみの時を思い出のひと時に、プロとしてしっかり演出するのがプロと言えるでしょう。