鳥取県では送り団子というものがある?
鳥取県は枕飾りにお供えする枕団子のことを「送り団子」と言い、一般的にどこの地方も通常は6個お供えするのに対して、鳥取では2個減らした4個をお供えするのが一般的となっています。数字の通り、「死・四」という連想と結びつけているようです。
通夜の言い方について
岡山と同じく、鳥取県でも通夜のことを「伽(とぎ)」と言う場合があり、一部で「夜伽(よとぎ)」とも言われています。その意味も同様、故人が寂しくならないよう全員で夜を過ごすというもので、その意味から考えた呼び方と言えるでしょう。
鉦(かね)を3回鳴らす風習がある
鳥取県の一部地域は、葬儀・告別式が済む頃に「二番鉦(にばんかね)」、そして出棺する際に「寄せ鉦(よせがね)」と言われる三番鉦を鳴らして、故人を送るといった風習があります。ちなみに鉦とは、仏具の一種の打楽器であり、丸い青銅製のたたきがねの事をそう言います。
善の綱をひく風習について
鳥取県の一部地域では、出棺する際に門から霊柩車までの距離を、わざと取って移動する風習が今の時代にも残っており、その風習は「そうれん」と言われています。出棺する時にそうれんを行う際、白いさらしの布を棺に結びつけるのですが、その布の橋を故人の近親者である女性が持って引っ張る風習、「善の綱(ぜんのつな)」と呼ばれる風習もそうれんと同時に行われるのです。距離を取って移動する「そうれん」とは本来、墓地や火葬場に棺を運ぶ「野辺送り」が残った風習であり、その葬列で行っていた風習が「善の綱」となります。
善の綱を行う際、故人と血縁関係が近い人程、棺に近い場所を持つしきたりとなっていて、善の綱は「善い所へ故人を導く綱」という意味が込められています。同じ鳥取県内でも白いさらしの布を引っ張る風習のことを、「縁の綱(えんのつな)」と違う呼び方をする地域もありますが、呼び方が違うだけではなく、善の綱と意味が違うとされています。縁の綱の場合、白いさらし布は切れやすいことで「故人との縁を切る」といった、故人ときっぱりお別れする為の風習になるのです。
通夜の時間が決まっていない?
一般的に通夜の開始時間は決まっているものですが、島根県の一部地域では通夜の開始時間は特に決まっていない風習があります。勿論、通夜が会館で行われる場合、特に時間が決まっていないという事はなく、自宅葬で行われる場合にそういう風習が未だに存在しています。その場合、参列者は適当な時間に喪家へ来て、焼香するという形です。
葬式に赤飯が出る意味について
島根県でも、長生きした高齢者の葬式で赤飯が出る場合があります。おめでたい事があった時に出されるものなので、この風習がないところは驚きます。葬式に赤飯が出されるのは、故人が長生きして、安らかにあの世へ旅立った故人をお祝いする意味があるとされています。
他には災いを福に転じさせる、いわば「縁起直し」の意味も込められていてます。何故なら、赤とは古来東洋で邪気を祓って厄を除ける力があると考えられていたからです。その為、おめでたい事でも葬式でも、とにかく非日常の世界と距離が近くなった時に赤飯が食べられていました。
忌中の印に竹を立てることがある
故人が出た場合「忌中」と書いた張り紙をする事は全国各地で行われるので珍しくありませんが、島根県の松江市や地域によって忌中の印として、日本の竹を門に立てる場合があるのです。二本の竹を門に立てるというのは、誰もがお正月の門松が浮かぶでしょう。知っている人は多いと思いますが、「門を清めて家の中に邪気が入ってこないようにする」という意味が門松にあります。ですから、忌中の印として立てられる竹も、同じ意味が込められていると考えられています。
香典だけでなく供物も贈る
山口県は香典を贈るだけでなく、香典とは別で果物・お菓子といった供物を贈る場合が多くあり、農村部などの地域ではお米・農作物を持参してくることもあるのです。参列者が持って来た供物は葬式の間に食べたり、もし余ったら皆でそれを分けて持って帰ることもあります。この風習は福岡等の他の地域である風習の「通夜見舞い」と共通していると言えるでしょう。
出棺前に出される膳について
他の地域でも見られますが、山口県にも出棺する前に故人と最後の膳を囲む「立飯(たちは)」と言われる行事の風習が行われます。「立飯」は主に大豆・ご飯のおこげを食べるのですが、何故大豆なのかは不明です。出棺が済んだ後、他の西日本の地域で行われている風習と同様、故人が使っていた茶碗を割る・藁を燃やすなどの風習がありますが、この風習を行う際、山口の地域では棺に向かって米・大豆を撒く風習があります。米や大豆を撒く行為は神道で祭壇にお供えする「神饌(しんせん)」に稲などの農作物がある為、塩をまくのと似ている「お清め」の意味があると言われています。